清閑寺窯四代 杉田祥平(すぎたしょうへい)先生 (陶芸作家)
清閑寺窯は旧伯爵・清閑寺家の許可を得て江戸後期に築窯され、初代菊次郎、二代目龍斎、三代目祥平を経て、当代(四代) 杉田祥平先生が平成11年に襲名されております。
先生は、京焼・清水焼の代表的な仁清・古清水の流れを茶陶器の製作を通して継承され、その造形美と典麗優美な桃山文化の彩色美の中に、現代感覚を併せ持つ技法で作陶に邁進されており、全国の有名百貨店などで展示会を開かれるなど、ご活躍されています。京都伝統陶芸家協会会員。
また、当代先生の息女・杉田眞龍(すぎたまりゅう)氏は父の薫陶を受け女性の目、若い感覚で茶陶器に挑んでおられる注目 の作家です。
(先生からのコメント)
この地に生まれ育って60余年。自分にとって世界中、何処を探してもこんな良い所はないと思い続けて日々送らせて頂いています。駅へも近いし、祇園も近い、こんな茶わん坂に惚れ込んでいる私は、どんなことがあっても、ここから離れることは出来ません。朝6時、大谷さんの鐘の音と小鳥の囀りを耳にして、一日が始まります。目には清水さんの三重の塔、季節の移りゆく東山を眺め、「さー、今日も一日が始まるぞ!」と、なんとも気持ちの良い、ここ茶わん坂。
この茶わん坂は、昔はリヤカーやら桟板(さんいた)に品物を載せて下の共同窯へ運んだもので、ここ清水独特の風情があって、なかなか良いものでした。今は、電気窯などつかっていますが、あの頃共同窯に入れる薪を探しに(調達に)、仲間と夜久野の方へ行ったりもいたしました。その薪も松の木で節のないものを選んだりして、いろんな苦労がありました。節があったらそこで火力が弱りますからね。懐かしいことです。
共同窯は前後1週間程かかりました。窯の掃除からはじまって、ゴウに入れるも灰を被るものは前の方、素焼は後ろといろいろと場所が決まっていたり、燃やす薪も入れる場所が違い、ここは四ツ割、ここは八ツ割と選んで入れたものです。当番は1晩中ついていて、火の色をみながらだんだんと温度を上げていったものです。焼き上がると、2日間程かかって冷やしました。
火入れ、窯出し、掃除と、そういう時に顔を合わせて親しいさしてもらいました。あの頃は、仲間意識も強かった様に思います。今は個々にしてますので、なかなか顔を合わすこともなくなりました。
この茶わん坂、昔は櫓を組んで、下から上まで盆踊り、又、地蔵盆の時は道に幕を張って映画上映などをみせてもらいました。ローラースケートもようしたし、千両飴を売ったはるとこもあって楽しかったですね。車社会の今は考えられないことですね。
黒地青楓の画茶碗/四代杉田祥平 作
左より 色絵立お福香合、色絵波涛蓋置
色絵五角宝尽し香合、色絵雉子香合
四代杉田祥平 作
紅地桜花絵茶碗/杉田眞龍 作
2008年1月29日〜2月4日 日本橋三越 ほか数回